2019/01/29
あの日から、1週間が経ちました。「あなたヴェルディがJ2にいることすら知らなかったでしょ?」っていう周囲の方や、10年以上連絡を取ってなかった大学時代の友人や前職の同僚、先輩方とかからも「おめでとう」のメッセージをたくさんいただき、まだまだヴェルディも捨てたもんじゃないというか、影響力の強さを感じた次第です。
DAZNやヴェルディのハイライト動画は何度も見たし、いろんな人の動画も見返した。性格悪いんで、エスパルスゴール裏の人のVLOG的な動画もたくさん見てニヤついた。
J1昇格したんですね、俺ら。
でも、今週はその後に奈良輪の引退やコイカジの退団などが発表され、ちょっと現実に引き戻されたというか。もう、2024年へ気持ちを切り替えなきゃな、って。
とはいえ、15年のJ2生活はやっぱり振り返っておきたいので、ちょっと長くなるかもしれないし、さっぱり終わるかもしれないけど、書き綴っていきたいと思います。
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2008年12月6日、すべてのはじまり
ゴール裏が爆ぜる瞬間は何度も経験し、特にPO決勝のPKが決まった瞬間は、いずれ自分が死を迎えるときに見るであろう走馬灯の中に確実に食い込んでくるはず。一方で、15年前のあの日……2008年12月6日、J1最終節の光景も、今後の人生において一生忘れることはないでしょう。
試合は負け。それはしゃあない、川崎は強かった。
その後、フロント批判の大量の横断幕。響き渡る怒号。ゴール裏で待っても待っても出てこないフロント上層部。陽が落ちた味スタ。ゴールが撤去され、暗くなり、ただただ凍てつく寒さの中で凍えながら座って待つしかなかったあの時間。
いったい自分は何をしているんだろう?
そんな風にも思ったりもしました。あの日は結局、終電もあるので途中で撤退。21時半くらいだったかな。結局何も得られないまま、今みたいにTwitterもないしmixiも速報性があるものではなかったから、あの後にどうなったか知る術もないまま、ただただ不安な気持ちと強烈に冷え込んだ体を持って乗った虚無の京王線、総武線……。絶対に忘れることはありません。
「俺たちのヴェルディを返せ!」
「ここにいる人たちがヴェルディなんだ」
トラメガを通じて叫んだ、当時のコールリーダー、ユウキさんの言葉。
「誰のための、何のためのヴェルディというクラブなのか」
その後の15年のJ2の旅は、今になって思うと、ひたすらその答えを探し続けていた時間でもあったように思います。
ずっと言いたかった言葉
なめてかかった2009年
消滅危機を迎えた2010年
ユニフォームがダサい2011年
勝ち筋が見えたはずだった2012年
三浦泰年で大失敗だった2013年
しゃがみ過ぎて立てなくなりかけた2014年
しゃがんだ成果がちょっと出た2015年
冨樫体制の積み上げ崩壊の2016年
大金とロティーナの2017年
ロティーナの限界が見えた2018年
ラーメン監督2019年
羽生社長体制が崩壊した2020年
永井秀樹のロマンを夢見た2021年
本気の刷新2年目で光が見えた2022年
歓喜の2023年
毎年の戦いを細かく振り返ることはしません。ただし一つ言えるのは、毎年異なる戦いや戦略、意味合いがあり、今年に至るまで1年たりとも無駄なシーズンなどはありませんでした。
1年1年が本当に楽しかった。苦しいこと、悔しいこと、大切にしてきたものがなくなる恐怖、怒り、喜び、涙、悲しみ……自分の人生における感情が、ここに全てあったと思います。個人的なことを言うと、人よりも感情の起伏がない人だと思います。でも、ヴェルディに関することだけは、全ての感情をさらけ出せた。
2020年ホーム最終戦のセレモニー。
当時の羽生社長はこう投げ掛けました。
「ヴェルディは一体誰のものなのでしょうか?」
2008年のあの日の問いを、また再び耳にすることになるとは……
この言葉には、当時の自分は羽生社長に同情しました。あの日は、ヴェルディが何者かに奪われてしまう恐怖を再び感じていましたし、サポーターに回ってきた情報もその色が強かった。
ですがその2年後。
昨年11月に行なわれたラウンドテーブル。
本当の意味で初めて、中村社長と向き合うことができたこの日。
今でも議事録がちゃんと残っているのではっきり言います。
中村社長は、羽生前社長に対するアンサーを示してくれました。
「最終的に『俺様のヴェルディ』にしようとしていたのが前体制。それはあってはならない、だからゼビオとして子会社化した。ヴェルディは、パブリックなもの。『みんなのヴェルディ』でなくてはならない」
まとめるとこういうことだったと、自分は理解しています。
一つだけ。
羽生社長には感謝の思いもあります。ヴェルディへの愛は本物だと思ってはいます。ですが、状況の違いはあれど10年弱で結果を残せなかったのが羽生さんであり、結果を残したのが中村社長であった。サッカーの面でも、経営の面でも。これは紛れもない事実。どちらがクラブのトップに立つべき人間であるか、もう明白です。
話を戻します。
15年かけて、ヴェルディがどういう存在であるかを探し続けてきた。このクラブに関わる人みんなで、探し続けてきた。その答えが、「みんなのものである」ということ。何も特別な答えではないけれど、本当の意味でそれが形になったのが、2023年だったと思います。
サポーター団体の方々は、みんなで楽しく良い雰囲気のスタンドをつくり上げることに尽力してきました。
クラブのスタッフの方々が、どうやったら多くの人が集まるスタジアムになるのかを考え、スタジアムに緑色を少しずつ増やし、明確に観客動員数という数字を伸ばしてくれました。
監督・コーチ・スタッフ陣はシンプルに全員で一つになり、最高のチームをつくってくれました。自分のキャリアよりも、コイカジや奈良輪さんのように、自分のサッカー人生をヴェルディのために全力で注いでくれた選手たちがいました。
ヴェルディに関わる人たち全員が同じ方向を向き、「みんなのヴェルディ」をつくり上げてきた成果が、J1昇格という結果になったのではないかと思います。
何もかもが崩壊していた2008年。
あのときと比べれば、J2で暮らす中で良くなったこともいっぱいあったから、ずっと発したいなと思っていた言葉がありました。でも、その言葉はJ1昇格をしたときに言おうと。そうじゃなきゃ、ただの負け犬の遠吠えになってしまいますから。
J2に落ちて良かった。
やっと言えました。
J2に落ちて、いったんまっさらにして本当に大切なことを、みんなの力で一つ一つ丁寧に、時に失敗もしながら紡いでいったことで、東京ヴェルディというクラブのサポーターであることに心から誇りを持てるようになったと思います。
あのままJ1に残ってずるずるやっても、今のような形にはならなかったでしょう。まぁいずれ落ちていたとは思いますが。
だいぶ長くなりましたので、そろそろ終わりにします。
本当の戦いはまたここからです。いくら素晴らしいクラブになっても、結局またJ2に落ちてしまったら、どこかでその歯車は狂います。歪みが必ず生まれてきます。当然、サッカーというスポーツである以上、また来年はJ1最下位からのスタートとなる1年である以上、うまくいかないことのほうが多いに決まってます。
たとえサッカーが厳しい結果になっても、J2の15年でつくり上げたヴェルディを崩すことなく、さらに発展させていかなくてはいけない。来年は、今年以上に大変なシーズンですよ、昇格に浮かれてるのは今だけ。俺らも、また一段ギアを上げて、それこそ全試合をなるべく今シーズンラストのホームゲームやPOのような気持ちで戦っていかないといけないですから。
各シーズンの思い出話を語るのは、どこかの居酒屋で。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
来週からは、2023シーズンを振り返っていきます。
コメント
素敵な記事をありがとうございます。全く同感です。これまでの土台を基に新しいJ1のヴェルディをサポートしていきます。
by 緑の血 2023年12月9日 10:02 PM