2019/01/29
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2008年最終節
あのとき、自分は何も知らなかった。
知らないからこそ幸せだったのかもしれない。
2008年、残留争いで必死にもがくなか、ただひたすらに、目の前の1試合の勝ち負けに一喜一憂し、1つのゴールに我を忘れるように大喜びしていた。クラブの運営とかフロントとか正直まったく興味なくて、今よりもある意味純粋に、ある意味幸福な気持ちでヴェルディを応援していたように思う。
そんなとき、残留がかかる最終節のフロンターレ戦を前にmixiで公開されたサポーター団体による“怪文書”には驚きしかなかった。その内容を書かないが、そこには俺が知っているヴェルディの形はなく、ただただ無残で悲惨なクラブの内情が書き連ねてあった。
最終節、当時圧倒的な攻撃力を誇るフロンターレの前に木っ端みじんに散り、ジェフが奇跡の逆転劇でFC東京を破ったことで、ヴェルディのJ2降格が決まった。
そして……
画像元:http://s.webry.info/sp/staffblog.at.webry.info/200812/article_9.html
この日のことを絶対に忘れることはない。
あの数々のダンマクは言葉こそ攻撃的ではあるが、J2降格に対する抗議ではない。
「俺たちのヴェルディを返してくれ」
ただただ悲痛なメッセージだった
居残る俺たちは、フロントの声が聞きたかった、話がしたかったが、当時の萩原社長、小湊専務らが姿を現すことはなかった。
俺は22時ころにやむなく帰宅したが、23時過ぎだったかな、いち社員が現れ、別日に話し合いの場を設けるということで解散となった。
時は12月、陽は落ち、明かりも落とされた味の素スタジアム。
肌を刺すような寒さは、これ以上ない文字通りの極寒。
あの日以上に、心も体も凍える寒さを感じたことはない。
2009年開幕
年が明けて2009年。
シーズンオフには、容赦なく訪れる主力選手の退団こそあったものの、それでも新たなシーズンの開幕はする。開幕は、徳島で迎えることが決まった。
当時大学4年生だった俺は、学生の思い出として遠征に行くことを決めた。
昔からヴェルディはずっと好きだったけど、本格的にスタジアムに足を運んでゴール裏に行くようになったのは2008年から。徳島遠征は、初めての関東を飛び出しての参戦だった。
朝一の便で旅立ち、鳴門の渦潮を楽しみいざスタジアムへ。
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当時はmixiやアメブロこそあったものの、今ほど情報を手に入れる手段は多くない。
だからサポーター団体にどんな人がいるのかもわからないし、このオフにどんな動きがあったのかもよくわからない。
本当に、無事に開幕を迎えることができるのだろうか?
そんな思いをいただいたままのスタジアムイン……
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驚いた。
そこには、みんなの笑顔があった
まるで3か月前の悪夢が嘘のように、みな笑い、新たなシーズンの門出を楽しんでいた。
ヴェルディの試合がそこで行われる喜びを、ともに戦える喜びを、みな噛みしめているようだった。
「3年前のJ2初年度、このスタジアムに駆けつけたヴェルディサポは、わずか12人でした。でも、今年はこんなにたくさんいる。まだまだ不透明なところはあるけど、クラブも選手も、もちろん俺らサポも、リスタートの気持ちで闘っていこう!。ヴェルディを愛する人たちがこんなにいる限り、ヴェルディは必ず復活する!!」
当時のコールリーダーだった中嶋ユーキさんはこうみんなに呼びかけ、俺たちの新シーズンははじまった。
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ポッカリと胸が白く空いたユニフォームを身にまとったヴェルディの戦士たちは必死に戦ったが、スコアレスドロー。右にユース卒ルーキーの和田拓也、左は大卒ルーキーの藤田優人、ユース所属の17歳・高橋祥平とベテランのバウル(土屋征夫)が構成するフレッシュなDFラインはしっかりと守り抜いたが、平本一樹、河野広貴、レアンドロの3トップと途中から投入された大黒将志はゴールを割ることはできなかった。
あれから、8年。
2017年の開幕戦は、あの年以来となるアウェイ徳島。
今オフは当時に比べれば穏やか、というかむしろ期待を抱かせるオフだったし、クラブも変わったし、クラブに対する俺らの考え方もポジティブな方向に変わった。
大学生だった俺も社会人になり、
中学生くらいだった子たちが大学生、社会人になりサポーター団体の一員としてゴール裏を引っ張っている
長いJ2暮らしのなかでいろんな変化はあったけど、決してネガティブなものではないと思っている。
明日の徳島戦、あのときのような笑顔でまたみなさんと再会できるのを楽しみにしています。
そして、試合後も笑って、東京へ帰りましょう!