コンドルとカモメのVoyage

2009年の東京ヴェルディ~過去シーズン振り返り~

time 2022/01/23

2009年の東京ヴェルディ~過去シーズン振り返り~

2度目のJ2降格となり、リスタートとなったこの年。
過去にこのブログでも何度も書きましたが、この年の開幕戦、アウェイ徳島でゴール裏でサポーターの皆さんの顔を見た時の安堵感、喜びは今でも忘れられません。前年最終節の居残り、シーズン最終節を前にした“告発文”、当時の萩原社長への質問状やラウンドテーブル…クラブとして、とてもまともにシーズンを戦えるような状態ではありませんでした。

まぁその件はさておき。

前年の戦力から考えると、那須大亮とディエゴという攻守の柱が抜けたとはいえ、その他の戦力はおおむね残留。一時は満了が発表された服部年宏、船越優蔵、土肥洋一も再契約に。そのため、やや選手層の薄さはあったものの、中盤にはジュビロから加入した河村崇大、柴崎晃誠、監督に就任した高木琢也の横浜時代の教え子である滝沢邦彦、前線は大黒将志、平本一樹、飯尾一慶にレアンドロや河野広貴と、当時のJ2トップクラスの戦力をもってスタートしたシーズンだったと思います。

一方で当時のJ2は、札幌、仙台、セレッソ、湘南、鳥栖、福岡、横浜FCなど今ではJ1を戦うようなクラブが揃い、徳島、岐阜、愛媛、JFLから昇格してきた栃木、富山、岡山などの地方クラブとの格差は大きかった年でした。

開幕戦の徳島とのゲームは0-0。3年連続最下位の徳島にドローという、不安が立ち込めるスタートとなりました。

はっきり言うと、あの年は1年でJ1復帰が目標。それゆえに、地方クラブになんて勝って当たり前という感覚がサポーターの中にはあったし、クラブの中もそういう空気になっていたんじゃないかと思います。

もっとも印象深いのが、2009年3月、国立で行なわれた栃木SC戦。JFLから上がってきたばかりの栃木にヴェルディは大苦戦し、試合終盤までスコアレスのまま試合が進んでいく。そんななか、途中から出場した永里源気のドリブル突破から89分にPKをもらい、それを大黒が決めて1-0でかろうじて勝利。ただ、そんな内容にサポーターは勝利したとて満足するはずもなく、むしろ不満が爆発。勝利したの、挨拶にきた選手にブーイングを発するという事態でした。

それに対して高木義成は怒り、富澤清太郎もゴール裏への挨拶をせずに戻っていこうとするほどでした。

これに関しては後日にサポーター団体と選手たちが考えを伝えあったようですが、ヴェルディの成績はなかなか上向かず、プレーオフもなかった当時のJ2では一度も昇格争いに絡むことすらありませんでした。

夏だったかな。アウェイ鳥栖戦、試合後にバス前で高木監督を呼び止め、団体さんと話をしていました。この頃、成績が上向かないにもかかわらずメンバーが固定され、高橋祥平、和田拓也、藤田優人といった後ろの選手は試合に出ていた(とういうよりも怪我人の多さと選手層の薄さから出ざるをえなかった)ものの、中盤から前線はベテランが重宝され、林陵平、富所悠、弦巻健人らの若手の出場機会は限られていました。「もっと若手を使ってくれ、試合の中で育ててくれ」に対して高木さんは、「若手は練習の中で育ててる。試合に出れるようになったら出る」というような答えをしていたように薄っすら記憶してます。

結局、このシーズンは7位。

祥平、和田、河野らはこの後数年は主力になれるだけの経験を積み、優人はチーム最長のプレータイムを記録するほど。ユース3年の高木俊幸もデビューを果たすなど、明るい話題もあったのは確か。

その一方で、 クラブ創設40周年の年は、年間を通してユニフォームの胸スポンサーが空いたまま、成績もパッとしない。勝ったり負けたりで大きな波もない。そして、忍び寄る経営危機。個人的にはまだ全試合に行くほどではなかったですが、初めてちゃんとシーズンを通して戦った1年目は、J2の沼に片足をどっぷりつかり始めるシーズンとなったのでした。

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