2019/01/29
今やコンビニに行くのと同じ感覚でマリンに通ってる自分だけど、実は今シーズンでまだロッテファンになって10年。これを長いというか短いというかはいざ知らず。
2005年の歓喜で始まった自分のロッテとの人生を、ちょっと振り返ってみようと思います。
第八回です。
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期待とも不安ともいえぬ、誰しもが来季のことは”わからない”としか言いようのないオフシーズンが明けようとしていた。大荒れの2009年が終わり、迎えた2010年3月3日のオープン戦。数か月前まで私設応援団のコールリーダが立っていたマリンスタジアムのライトスタンドのステージには、一人の男の姿があった。
ジントシオである。
2005年からファンになった自分は彼のことを知らなかったけど、それ以前のマリーンズの応援を仕切っていた伝説のコールリーダー。当時の応援歌はほぼ彼の手によって作られたものであり、MVPによる応援リードの一体感のベースを作ったのでは彼である、と。オールドファンなら彼を知らない人はいない、そんな存在らしい。
彼の応援スタイルは、MVPが作り上げる雰囲気とは真反対。勢い、ヒール感、危うさを匂わせるのとは違い、純粋に”楽しさ”をモットーとするリーダーのよう。
ただし。。。
当時、どんなやり取りがあったのか自分の知る由はないけど、MVPが作り上げた応援歌の権利は全て彼らにあり、一部を除いてそれまでの応援歌を使うことは許されなかったようである。選手の応援歌、ヒットテーマ、チャンステーマ・・・ほぼすべてをゼロから作り上げる必要があったのです。
応援団のメンバーはわずか。太鼓こそ叩く人がいるものの、ジンさんがリードからトランペットまですべてやる。隣で歌詞カードをだしているのは、イベントMCのこなつお姉さん。
オープン戦といえど寂しいこの雰囲気。当時の応援歌練習の動画はすでに削除されているようですが、みんなこんな感じ。
2010年はここから始まったのです。
とはいえ、さすがはマリーンズファン?mixiを中心に応援歌の練習風景がyoutubeで誰かが公開すると、その拡散力がハンパない。新たに発表された曲を来る人は結構覚えている。当初は歌詞カードをみんな見ながら歌っていたのが、オープン戦が終わるころにはそれなりに浸透してるんだから。
でも、開幕戦となった西武ドームではまだまだ揃ってなくてバラバラなのがよくわかる。。。
前途多難。だな、みんなそう思っていた。
そんななかジンさんが取り入れたのは、今も続く「ジントシオ リサイタル」。マリンの正面ステージで、年に数回、応援歌の練習を行うのです。
これがまさに大好評。楽しく、応援歌を覚える。みんなで歌い、ジャンプしながら。そうやって応援歌は少しずつ少しずつ広がっていき、ライトスタンドに輝きが戻り始めてきた。それは、ファンに限った話でもなかった。
前年、勇気ある行動を起こしたものの肝心のバットで成績を残せなかった西岡。2010年は西村新監督のもとキャプテンに指名され、髪も黒く短した。それまでのチャラいイメージを吹き飛ばし、まるで別人の如くチームの中心として気を吐いた西岡は結果的に首位打者、シーズン最多猛打賞を含めた記録尽くしの結果を残しチームは3位でCSに進出。里崎の「史上最大の下剋上」のもと、ライオンズ、ホークスを破り日本シリーズへ。そして中日との6時間弱にわたる壮絶な試合を超え、見事日本一になったのです!
ちなみに、ロッテの試合でビジター遠征をしたのは実はこの年のCSでの福岡遠征が初めて。日本シリーズではチケットが取れずナゴヤドームへ行けなかったけど、交流戦では訪れていたし。2010年は社会人2年目だったとうこともあり、金銭的にもスケジュール的にも余裕ができ始めた時期でした。
2009年の悲劇からわずか1年後には日本一。そして悪い膿が出されてこれからのマリーンズはもっと素晴らしいチームになっていく。グラウンドレベルでも、球団としての質も。
そう思っていたんですけどね。。。
続く。
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