今やコンビニに行くのと同じ感覚でマリンに通ってる自分だけど、実は今シーズンでまだロッテファンになって10年。これを長いというか短いというかはいざ知らず。
2005年の歓喜で始まった自分のロッテとの人生を、ちょっと振り返ってみようと思います。
第六回です。
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2009年9月27日。前日に続くバファローズ戦。
西岡の勇気ある訴えに対して、Marines Victory Production 及び私設応援団が出した答えは非常にショッキングなものでした。
・彼への誹謗中傷の横断幕
・応援のボイコットと、関係ない応援歌の演奏
・凡退テーマの演奏
球場のファン全体が、自発的に”つよしコール”をする自体となったのです。なお、他の選手に関しては通常通り応援歌を演奏し、周囲も”仕方なく”それに合わせて歌いました。戸惑いを感じながらも。
次にこちら。同点で迎えた9回裏、この回の最後の打者となった堀の場面
ついに、応援団の演奏を無視して会場全体が”幸一コール”をしています。彼が凡退に終わり延長突入となると、その全ての矛先は応援団に向けられ、彼らに対する”帰れ”コールが始まりました。
いかに異常な雰囲気であったことは、この動画を見ただけでもわかるはずです。現地で感じた空気は、この動画から読み取れるものを遥かに上回るものです。
実はこの日、自分は他の予定があって行くつもりはなかったんだけど、前日のことがあったために急きょ予定を変更してマリンを訪れた。このシーズン最後の日曜日の試合ということもあり球場はほぼ満員、自分はギリギリ取れた内野のチケットで2階スタンドで観戦してました。
この日に起きたことについては、マリーンズの有名ブログである『マリンブルーの風』にてその当時に生々しく描かれているのでそちらのほうがわかりやすいかもしれません。
「マリーンズ外野応援団が死んだ日」
2階スタンドで見ていた自分。
隣には、小学3年生くらいのの野球少年が一人で見に来ていました。
さすがに、この異常な空気は察したようです。
「あそこの人たちはロッテを応援する人じゃないの?なんで剛の邪魔するの?」
彼は自分に問いました。
・・・答えることができませんでした。
「あいつらは気にせず、応援しよう。」
そう言うのが精いっぱい。
今でも、あの少年の悲しそうな眼は忘れられません。
この試合、やはり最後に見せ場を作ったのは西岡。
12回裏、1アウトの場面でで打席に回ってくる。雰囲気はこれまでと一緒。応援団は関係ないラッパを吹くなか、それを吹き飛ばすような球場全体からのツヨシコール。
後に聞くと、バファローズの外野席からもコールの声が発せられていたとのことです。当時は6位バファローズ、5位マリーンズ。消化試合ということもあった。とはいえ敵チームを応援するなんて言語道断のはず。
その倫理を破ってまで声を発したバファローズファンにも、マリーンズの外野応援団の一部が間違っていることは明らか。いや、もう応援団なんて言いたくもない。
西岡はこのコールに応え、3ベースでサヨナラのチャンスを作り出す。
が・・・次の堀がスクイズを試みると最悪のキャッチャーへの小フライとなり、スタートを切っていた西岡は戻れずにアウト。非常に残念な引き分けとなりました。
ただ、最後に見せた西岡の気迫のお蔭で救われたのか、あの少年にも少しだけ笑顔が戻り帰っていきました。
これまで幾多の試合を観戦してきたけど、これほど”気持ち悪い”試合は今にも後にもこの試合だけ。
それと同時に、過去最大に球場が一つとなったのも感じていた。
外野応援団が死んだ日
あの日の出来事を表すうえで、これ以上に当てはまる言葉が見つからない。マリーンズファンになって以来、最も悲しいゲームです。
怒り?悲しみ?喪失?もうわけがわからん感じです。
いったい、応援するって何なんだろう?
球場ってもっと楽しい場所じゃなかったっけ・・・?
帰りの電車、色々な感情が巡り巡っていました。
帰宅後、当時流行しており、最大の掲示板の一つとなっていたmixiのマリーンズコミュニティでは数時間足らずで他球団のファンを含めたコメントが殺到してました。数時間で、MAXとなる1000を軽く超えていたような。
総意として、MVPは悪であるということ。
見事な日程のアヤとなったのが、この約一週間後にシーズンの最終戦が同じくマリンスタジアムで行われること。
ボビーの退団セレモニー、レジェンドの一人となった小宮山悟の引退セレモニーもあるっていうのに、一体どんな雰囲気になるのか、気になってしょうがない一週間が始まりました。。。
続く。
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