今やコンビニに行くのと同じ感覚でマリンに通ってる自分だけど、実は今シーズンでまだロッテファンになって10年。これを長いというか短いというかはいざ知らず。
2005年の歓喜で始まった自分のロッテとの人生を、ちょっと振り返ってみようと思います。
第三回です。
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気が付いたらロッテファンとなってた2005年。
ご存知の通り、世紀の大躍進を遂げパ・リーグ2位の成績を残す。ホームでのプレーオフ 1stステージは西武を2-1, 3-1と僅差で倒す。そして迎えた福岡でのホークスとのファイナルステージ。
まだこの年はビジターの遠征をするほどの熱はなかったのでTV観戦。
最初の2試合を終盤での逆転勝利で切り抜け、期待の高まる第3戦。4-0でリードし迎えた9回裏。守護神の小林雅英が登板しもはや勝負ありと思っていた。。。が、まさかの大乱調で4失点。そのまま10回にサヨナラ負け。
そこで失った流れは引き戻せずに第4戦も落とす。
迎えた第5戦。
前日からの流れを取り戻せないまま7回終わって1-2。このまま8回も抑えられたら9回には馬原が出てきて終わる!・・・。
そんな流れを断ち切ったのが、引退を決めていた初芝清であり、ここで思い気って代打の切り札初芝を起用したボビー。その前の守備で早坂の攻守で切り抜けていただけに、その早坂に代えてというのも大胆。初芝はその期待に応え、相手のミスも重なったことで内野安打で出塁、福浦もヒットでつなぐ。
ここでホークスは、まだ8回ながら守護神の馬原を送り込んでくる。
4番のサブローは、解説のノムさんもお怒りの強行策失敗で内野フライで倒れる。、迎えるは5番里崎。
見事に初球の低めのストレートを跳ね返し逆転となる2ベース。野球を見て、叫ぶ日がくるなんて・・・
もし自分が本当の意味でロッテファンになったのはいつ?と聞かれれば、この里崎の2ベースで福浦がホームインした瞬間かもしれない。
このまま9回も小林雅英が抑えて見事に日本シリーズへ。
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日本シリーズはもう言うことなく4連勝で日本一となるわけですが。。。
ホームでの阪神戦。普通にファンとして試合を見たいという思いもあったけど、せっかくの機会だからということで仕事として出ることに。いつもの通り2階スタンド。そのときにはチーフの方ともある程度仲良くなってたので、2階スタンドの中でもどの辺に配置されたい?みたいな話は事前にする・・・
「3塁側、頼むね!」
・・・きたか。
スタジアムの案内に関してはもう聞かれてわからないようなことはほとんどなかったし、接客も慣れてきたけど、阪神ファンで埋まる3塁側の中となるとまた話は別やねん。これほど緊張した日はない。
初戦。
いつもは自由席の2階席も日本シリーズは全席指定のため変な争いごとみたいのはなく。見た目はめっちゃ怖いやつら多いけど。試合が始まって応援となると威圧的だけど、まぁそこまでたいしたことないやん・・・って思ってたんだけどねぇ。
試合の内容も序盤からロッテがリード、7回は連打が止まらず里崎、ベニーのHRを含む6点を奪い大量リードのなかなか危ない雰囲気。いや、問題はそこじゃない。
だんだんと、なぜか球場が白くなっていく。モヤが。モヤが!!3塁側の内野から、ライトを守ってる桧山の姿は見えない。ボールなんて見えるわけがない。そして、中断が宣言される。こんなのは最初で最後の出来事。だんだん空気が怪しくなる3塁側スタンド。
「ふざけんなや!」
「発煙筒か!?」
「まだできるやろ!」
そんな声が飛び交うスタンドのなか、全く晴れる気配がない濃霧のため、30分の中断ののちにコールドゲームとなる。
昨年の日本シリーズにあったようにメガホンやペットボトルが投げ込まれる!!・・・ことはなかったですね。
確かに荒らげる声はめっちゃ怖いけど、
「まぁ今日はどのみち負けや負け!明日や明日!」
と帰っていく人が多かったですね。そりゃ、その時点で10-1だったからね。
で、第2戦も同じように10点差でロッテが勝利したためまた怖いんだろーなぁと思ってたけど、
「甲子園で叩きのめしたるからな!」
と、案外潔い人が多かったですね。ゴミをそのまま捨てていく人も結構いるんだけど、それをゴミ袋に集めてくれるお客様もいて、
「阪神ファンがみんな怖いと思ったらちゃうねんよ。」
と、声を掛けてくれる人も多かったのも印象的。てか、こんだけ良くも悪くもいちスタッフの自分に声を掛けてくのが多いのも、阪神ファンなんだなぁ。
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そのあと日本シリーズがどうなったのかはご存知の通り。見事な戦いっぷりで千葉に帰ってきたマリンズ。シーズンオフには、もう来シーズンが楽しみでしょうがかなったです。
ちなみにちなみに。
この年のホームゲームはほぼ全て仕事中に試合を見てたので、実は客としての観戦は”ゼロ”でした。ということで、マリンでの初観戦は翌年に持ち込むのです。
次回は、苦境となった2006年以降を。
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