2019/01/29
今思うと、この数年は「俺らは強い、あとちょっとでJ1復帰だ」という気持ちを選手たちもサポーターも持っていて、そこから遠ざかりそうになったら厳しい目で接していたように思います。堂々と「今年の目標はJ1昇格」だと誰もが自信を持って言えてたし、それを言うことに恥ずかしさみたいなものはいっさいありませんでした。
2011年も5位で終え、富澤、河野という柱を放出“せざるをえなかった”ものの、西紀寛、中後雅喜、小池純輝に加え、梶川諒太がルーキーとして加入。杉本竜士、南秀仁という将来有望なユース組が昇格し、刀根亮輔や島川俊郎といった他チームの若手も加入するなど、十分な戦力を維持することになりました。
川勝体制3年目の集大成となると期待した2012年。
チームは確か5年ぶりの開幕戦勝利、しかも19歳で10番を背負い、キャプテンも務めた小林祐希のゴールで昇格してきたばかりの松本山雅に勝利し、最高のスタートを切った。その後も、3月に巻誠一郎が負傷で長期離脱を強いられると、即座に杉本健勇をレンタルで獲得。1チーム招集は3人までの制約があったロンドン五輪に出場するU-23代表において、大迫勇也とポジションを争っていた彼がメンバー入りするためにという夏までの短期契約という前提ながら、その実力を余すところなく発揮。阿部拓馬との2トップはJ2最強とも言えるコンビで、西の活躍もあり、チームは躍進。
6月には2位だったジェフ千葉をホームで撃破して首位に立ち、夏場の時点では「優勝して昇格」が現実的な目標になっていました。
……ところが。
健勇がレンタルバックになると、その頃に西やバウルらが次々に負傷離脱。3番手のFWを争っていたジョジマールやアレックスもパッとせず。そして、激震となった祐希のジュビロへの移籍。これが単純に実力を認められての引き抜きならまだ救いはあった(としても影響はでかかったろうが)かもしれませんが、これを機に明るみになったのはベテラン組と若手組の分裂。キャプテンとしてまとめようとした祐希はその状態に苦しみ、パフォーマンスを落として梶川にレギュラーポジションも奪われ、結局チームから逃げるように移籍してしまった。後に羽生さんも川勝さんも「祐希をキャプテンにしたのは失敗だった」と話していた(と記憶してます)ように、この年に掲げたスローガン「One.」からは程遠い状態になっていました。
夏以降、成績は急降下。フロンターレに所属し、前年には日本代表に選ばれていた柴崎晃誠を呼び戻すも、負傷による離脱と監督交代により出場機会を失っていた影響は大きく、期待外れの出来に。ジョジマールの契約解除に伴い獲得したジミー・フランサも加入直後のゴール以降は大きな活躍もなく、同じく夏に加入した木島良輔は途中出場でチャンスを量産するも決定力を欠いて0ゴール。
残り10試合で川勝さんを解任して高橋真一郎を監督に据えるも時すでに遅し。中島翔哉がJ史上最年少ハットトリックを記録するなど明るい話題もありながら、7位となりこのシーズンにはじまったプレーオフ進出すらも逃すなど、一番期待されたシーズンで降格以降最低順位に終わるという結果に。
選手の能力はあった。監督の指導力も十分にあった。でも、チームマネジメントに失敗した。クラブとしては、2008年のJ2降格以降、苦しいことはたくさんあるけど気持ちは一つでいようと、みんなで戦ってきました。ところが、その大事にしてきた部分を欠いてしまったことで、もうちょっとで完成に近づいていたものが壊れてしまうという、非常に残念なシーズンでした。
とはいえ、最終節となったアウェイ群馬戦の試合前、サポーターの前に現れた羽生社長が「ここまで育ったユース組と、実績を残してきた新監督(三浦泰年)の力がかみ合えば良い結果はついてくる」と宣言。実際にヤスさんは、J2初年をわずか1勝で終えたギラヴァンツを中位に導き、一時は昇格争いに顔を出すまでの成績を残していたので、「実績ある監督」であったのは間違いありませんでした。
来年が楽しみだ……とこのシーズンも最後は笑って終えたのですが、ここから崩壊というか泥沼が始まるとは夢にも思っていませんでした…。